レストラン OneSpoon閉店と
田島一漱 現役引退のおしらせ
料理の道を歩きはじめて55年が経ちました。
18歳で単身東京へ出て、フランス料理店で見習いコックとしてスタートした日が昨日のように思い出されます。
料理人の修行は決して楽ではなかったと思いますが、『運』に恵まれ、『人』に恵まれ、 『時』に恵まれて、 思い起こせば、辛い事より断然幸せな事の方が多い料理人人生だったような気がします。 弱小シェフにしては上々の料理人人生を歩む事が出来たのではないかと思います。 今はやり終えた達成感と共に、充実したハッピーな老後を楽しんでおります。
それも、振り返れば多くの同僚、友人、そして何より数え切れないほどの大勢のお客様のご支援があったからこそ、 今の自分があると思っております。
糸島のOneSpoonでの仕事が私の料理人最後の仕事になりました。
予定では、私の料理を食べて下さる方がいる限り、いづれまたどこかで再開をと考えておりましたが、 文雅やOneSpoonでお出ししていた料理と同じ、あるいはそれ以上の料理を提供してはじめて再開する意味もございます。 そのクオリティを保ち、召し上が って下さったお客様に納得して頂く自信が持てない限り、到底再開は出来ません。
七十歳の半ばに差しかかり、気持ちはあっても現実には残念ながらすべてが昔のようには参りません。
そこで皆様から惜しんで頂きつつも、このまま現役を引退をさせて頂くことがベストの選択だと判断するに至りました。 再開をお待ち頂いている皆様を裏切る事になりましたこと誠に申し訳けございません。ここに深く深くお詫び申し上げます。
今日まで長い間ご支援を賜りました皆々様に改めて感謝申し上げます。
そして、これまで苦楽を共にして下さったスタッフの皆様、お世話になった多くの業者の方にも、これまでのご厚情に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
2018年正月
18歳で単身東京へ出て、フランス料理店で見習いコックとしてスタートした日が昨日のように思い出されます。
料理人の修行は決して楽ではなかったと思いますが、『運』に恵まれ、『人』に恵まれ、 『時』に恵まれて、 思い起こせば、辛い事より断然幸せな事の方が多い料理人人生だったような気がします。 弱小シェフにしては上々の料理人人生を歩む事が出来たのではないかと思います。 今はやり終えた達成感と共に、充実したハッピーな老後を楽しんでおります。
それも、振り返れば多くの同僚、友人、そして何より数え切れないほどの大勢のお客様のご支援があったからこそ、 今の自分があると思っております。
糸島のOneSpoonでの仕事が私の料理人最後の仕事になりました。
予定では、私の料理を食べて下さる方がいる限り、いづれまたどこかで再開をと考えておりましたが、 文雅やOneSpoonでお出ししていた料理と同じ、あるいはそれ以上の料理を提供してはじめて再開する意味もございます。 そのクオリティを保ち、召し上が って下さったお客様に納得して頂く自信が持てない限り、到底再開は出来ません。
七十歳の半ばに差しかかり、気持ちはあっても現実には残念ながらすべてが昔のようには参りません。
そこで皆様から惜しんで頂きつつも、このまま現役を引退をさせて頂くことがベストの選択だと判断するに至りました。 再開をお待ち頂いている皆様を裏切る事になりましたこと誠に申し訳けございません。ここに深く深くお詫び申し上げます。
今日まで長い間ご支援を賜りました皆々様に改めて感謝申し上げます。
そして、これまで苦楽を共にして下さったスタッフの皆様、お世話になった多くの業者の方にも、これまでのご厚情に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
合 掌
2018年正月
元 シャトー文雅・ヌーベル文雅・OneSpoon
オーナーシェフ 田島 一漱
オーナーシェフ 田島 一漱